「日本一新運動」の原点(249)ーフランス連続銃撃テロ事件に思う!

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

○フランス連続銃撃テロ事件に思う!

年が明けて起きてはならないテロ事件が発生した。仏の週刊新聞「シャルリー・エブト」などへの連続テロ事件である。編集者や、警察官なども含めて多数の犠牲者を出し、欧州では、過激派テロとの戦争状態といえる。この稿を執筆中にベルギーでもテロ計画の摘発があり、銃撃戦の末、武装した二人が死亡したと報じている。この週刊新聞は、近年イスラム主義を揶揄してイスラム教徒の反発を招いているが、言論に対する暴力や脅しは人間社会に許されるものではない。人間の文明はそのためにあるといっても過言ではない。テロの脅威から人間社会を護るとともに、根本的解決策を、人類の叡智で考えるべきである。

11日に仏全土で行われた「連続テロの犠牲者を追悼する大行進」の参加者は、延べ370万人に達したと報道されている。パリで行われた大規模デモ行進には、欧州や中東アフリカなど約50ヶ国の首脳や国際機関の代表者らが参加した。イスラエルのネタニヤフ首相、パレスチナ自治政府のアッバス議長が和平交渉に対立を残しながら、ともに腕を組んでいた。この指導者たちには「言論の自由や、多様な価値観の社会を守ろう」という覚悟と「宗教や世代を超えて連帯していこう」という具体的な政治行動を強く期待したい。

ところが現実はそう簡単なものではないようだ。事件後の欧州各地で、テロとの関係のないイスラム教徒への嫌がらせが相次いでいる。最近の欧州には、イスラム諸国からの移民らに対し排外的主張をする右派勢力が支持を増やしている。日本にも「ヘイトスピーチ」で知られる右派勢力が自民党政権に影響を与えている。一部のメディアには国家権力の言論支配に協力していると思える行動を感じる。

テロ追悼デモは、第2次世界大戦後の「パリ解放デモ」を超える歴史的行進だったとジャーナリズムが称賛する。私は、参加したオラン仏大統領、キャメロン英首相、メルケル独首相ら世界の指導者たちが、まずはこのような事件を発生させない現実的対応をしっかりとって欲しい。その上で、21世紀の人間社会が何故このような惨事を起こすようになったのか、根本的問題を指導者たち自身が考えるべきだと思う。世界の英知を結集して政治・経済・宗教・文化などのあり方を反省し、新しい文明を創造すべきである。

(万人救済の〝ユニテリアン思想〟に学ぼう!)

 昨年12月『土佐史談』という百年近い歴史を持つ、私の故郷・高知の郷土誌が、『中浜万次郎 特集』を刊行した。私はそこに「万次郎とユニテリアン思想」という小論文を掲載した。昨年のメルマガでは、その草案を連載したことから、読者諸兄の中にはご記憶の方もあると思う。仏のテロ事件を機会に、改めて採り上げておきたい。「ユニテリアン」とは、正統派キリスト教徒が信じる「三位一体」を否定し神の唯一性を信じる人々のことである。キリストを神の子と認めない人たちを発祥としているため、異端視されてきた。教義は差別のない万人救済にあり、人類愛や隣人愛を主張する。異教徒間の交流に極めて積極的で、自由と理性と寛容を重んじ、権威への盲従を嫌うことを特長としているのは、東洋思想に通じるものがある。

少年万次郎は太平洋の孤島で、米国の捕鯨船船長に助けられ、ボストンの郊外で草の根デモクラシー、隣人愛や人類愛のユニテリアン思想を学ぶ。命を賭して帰国し、人間平等を実践・普及させる。この思想は米国の奴隷解放や、ナイチンゲールの博愛の活動原点であった。古来、あらゆる宗教の原点は、人間は平等であるとの思想であった。アダムとイブが蛇に騙されてリンゴ食べて、欲望を知ってから多くの人々は排他的競争に専念するようになる。

21世紀に出現したマネーゲーム資本主義は、市場原理が神の手によるものではないことがわかった。正統派キリスト教の影響を受けた近代欧米文化の、形の上だけの合理主義や、自由のあり方などを総点検する必要がある。そして、原始キリスト教だけではなく、我が国の縄文文化の特長でもあった「神と自然と人間」を一体とするユニテリアン思想を学ぶことが、人類を救済するものであることを、世界の指導者は気づくべきである。

パリでのデモ行進を見て、私がふと思ったのは、世界の指導者の何人が、「ユニテリアン」という言葉を知っているだろうかという疑問である。

○ 消費税制度物語  (8)

昭和61年12月29日、御用納めの翌日、第108回常会が召集された。当時は国会法で常会を12月に召集することが規定されていた。それにしても御用納めの翌日とは異常な日程である。税制改革をめぐって、与野党だけではなく、自民党内、とりわけ業界支持団体の猛反発がその要因であった。

この国会は『売上税国会』と呼ばれ、「売上税法案」、「所得税等改正案」(所得税・法人税の減税、マル優廃止など)これらの「施行法案」を提出することが決まっていた。この法案をめぐって野党側が徹底抗戦し、統一地方選挙をはさんで国会史に残る与野党対決国会であった。この「売上税国会」については『消費税国会の攻防1987―88―平野貞夫衆議院事務局日記』(千倉書房)の「第一章売上税国会における挫折」に詳述しているので、機会があれば参照していただきたい。

年末から年始にかけた売上税に反対する最大の運動は、百貨店・スーパーなど流通11団体の「大型間接税反対中央連絡会議」で、約145万業者が約600万の反対誓願書を国会に提出する活動を始めたことであった。年が明け、昭和62年1月16日、社会・公明・民社・社民連の野党四派は「売上税等粉砕闘争協議会」を発足させ、野党共闘態勢を確立し、民間の反対運動と共闘することになる。

(売上税の「う」の字もない中曽根首相の演説で国会紛糾!)

中曽根首相は自分の手で「売上税法案」を成立させるべく大蔵大臣に宮沢喜一氏を起用し、また国会運営の責任者として、幹事長に竹下登氏を、総務会長に安倍晋太郎氏を当て、ポスト中曽根を競わせることになる。そして、官房長官には後藤田正晴、衆議院議長に原健三郎、議運委員長に越智伊平、予算委員長に砂田重民という重鎮を揃えた。この時、小沢一郎氏は無役であったが竹下幹事長の密使として、弥富事務総長や私(平野総務課長)との連絡役として国会の正常な運営に奔走していた。

昭和62年1月26日、衆参両院で政府演説が行われ、「売上税国会」の火ぶたが切られた。ところが、中曽根首相は施政方針演説の中で「政府は・・・・・・。間接税制度の改革及び非課税貯蓄制度の再検討を柱とする抜本的な税制改革を今国会に提出することにしております」とだけ発言した。野党は「売上税」という言葉がなかったとして、後藤田官房長官に抗議したが、「宮沢大蔵大臣の財政演説に入っている」と突っぱねた。調べてみると「間接税について物品税等の個別的消費税制度を売上税に改め、・・・」と入っていた。この中曽根内閣の姿勢に各野党党首が記者会見で、厳しく批判して「最大の抗議行動をすることになる。

○土井社会党委員長 売上税の「う」の字も出ない。いくら心臓が強くても公約違反の売上税を使うのは気が引けたか。これだけ世間に不安と心配をつくり不誠実だ。
○矢野公明党委員長 国民の関心がある売上税など、聞きたいことに答えない。
○塚本民社党委員長 間接税という言葉で、ちょっとふれただけで減税等とは白々しい。
○不破共産党委員長 売上税と公約違反との関係は、自民党がどう解釈しようが、首相の口から明らかにする必要がある。

(野党が代表質問を拒否する異常事態)

中曽根内閣の政府演説に対する各党の代表質問は、1月28日からの3日間、衆参両院で行われるよう決まっていた。中曽根首相の不誠実を追及する野党は、代表質問に応じないという異常事態となった。困ったのは国会運営の与党自民党の竹下幹事長であった。側近の小沢一郎氏に事態の打開策を命じた。

中曽根首相は「政府演説は憲法上の権限だ。訂正しない」との態度をとり続けた。公明党の大久保書記長と接触していた私が、「このままだと野党と自民の一部で中曽根退陣の流れになる」との情報を弥富事務総長に伝え、正常化について中曽根首相を説得。1週間の国会空転の末、2月3日の衆議院本会議で中曽根首相が「私が施政方針演説で述べました、間接税制度の改正は売上税の創設を含めたものであります」と補足説明を行い、代表質問に入った。狂気国会の始まりである。(続く)

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