日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観
○ 平成26年の政治を顧みて!
今年の2月22日、日本一新の会の皆さんの協力を得て、春まだ浅い高知市の自由民権記念館で『違憲国会の葬式』を行った。前年暮れの特定秘密保護法の立法過程が、国会の脳死状況を示すものだとし、国民の自主・自治の精神を再生させることが必要であるとして企画したものであった。
小沢一郎氏が挨拶で「一強多弱が危険なのではない。野党が権力に擦り寄らず、まとまった行動をしなければ国民に選択肢がないことになる。本当に日本は民主主義国家なのかとの思いすら抱く。選挙で自分の意見をきちんと票に表さないかぎり、何も変わらない」と述べた。11月21日、安倍首相は突然に衆議院の解散を行い、国民の大多数から「大義なき解散」と批判された。12月14日に断行した総選挙の結果は、小沢氏が予言したとおり、何も変わらず、我が国の民主主義による議会政治は瀕死の状態となった。
今年の政治をひと言で表現するなら、安倍首相の「この道しかない」という戯れ狂言に振り回されたといえる。「アベノミクス」でも「沖縄の辺野古問題」でもこれを絶叫し、それをマスメディアが過剰に反応し喧伝する。しかも野党第一党の民主党で、これらの問題で意見が割れているようでは議会民主政治も、政権交代も成り立つわけがない。
今回の総選挙の比例東北ブロックで立候補し、その実態を体験した私の感想は、「日本国民の心理構造には、ファシズムを受け入れる準備ができている」という深刻な思いである。戦後最低の52%という投票率も、議会政治不信論から不要論への道程といえる。それよりも、戦前には政権・メディア・有識者たちが「この道しかない」といって戦争に突入したことを思い出した。それを批判する野党もメディアも、そして有識者が一人もいないことに背筋が寒くなったも私ひとりではないだろう。
何も雪国が選挙区だったことだけではない。東北6県を訪ねて寒いと思ったことは一度もない。それは迎えてくれる人々の温かい心のおかげだ。ファシズムの足音ならず、「地響きの原因と責任は安倍首相にあり」と、多くの人たちの見方がある。もちろん、首相としての応分の責任はあるが、そもそも「ファシズムとは何かを知る」能力を持たない政治家を対象として議論しても何の成果も生まれない。問題の本質は、知る能力のない人物を利用して、ファシズム体制をつくる、背後の政治・社会・経済などの人間集団を知ることである。
経団連を中心とする大企業中心の金権思想、社会の木鐸たることを投げ棄てたマスメディア、ひたすら社会的・経済的利益のために政治権力に擦り寄る学者・有識者たちがファシズムの根である。そして何よりも、その流れを指摘できない主要な野党の幹部たち、さらに言っておきたいことは、反ファシズムを看板とする日本共産党の「唯我独尊」路線である。戦前の、ビが生えたマルクス主義を忘却できない悲劇の行動が、我が国の議会民主政治を、結果的に劣化させている。「得るは棄つるにあり」、これが政治弁証法の真髄であることを知るべし。
安倍首相にとって、もう一つの「この道しかない」という課題があった。それは、岩手県第4区・生活の党小沢代表の、選挙区での当選を阻止することであった。そのために、民主政治では想定できない弾圧選挙を安倍自民党は行った。総選挙の後半の12月9日に菅官房長官、10日は安倍首相、11日には小泉進次郎氏、かてて加えて、12日には谷垣幹事長らを第4区に入れ徹底した個人攻撃を行った。
安倍首相に至っては「16回も当選させてはならない。新しい人に代えるべきだ」と、有権者を愚弄し、議会政治では理由にならない痴れ言を放言していた。明治時代の国家権力による暴力的弾圧より、ある意味で質が悪い。自民党首脳は議会民主政治に対する基本知識に欠陥があることがファシズム化の根本原因である。今回の大義なき総選挙は、このことを国民に知らしめたといえる。
来たる年の「日本一新の会」の目標は、日本人の政治に対する健全な知識の普及活動であることであることに気がついた。
○消費税制度物語 (4)
(『40日抗争』と議会民主政治の挫折)
議会政治の汚点となった『40日抗争』とは、消費税導入問題が敗北の原因となった自民党内で、大平首相が引き続き政治を担当する意向を表明したため党内抗争が激化し、首班指名の候補者を一人に絞ることができなかったことが原因の事件である。昭和54年10月30日に、総選挙後の第八十九回特別国会が召集された。首班指名が行われたのが11月6日で、総選挙から40日目にあたることから『40日抗争』と呼ばれた。
前代未聞、政党政治ではあってはならない、自民党で首相候補を一人に絞れないという異常事態が起こった。この時野党に政権を獲る意思があれば野党連立政権ができた。社会党にはさらさらその気がなく、自民党内の調整をただただ待つ姿勢であった。そのため政治空白が続いた。私は当時、衆議院議運委員会の事務担当キャップという立場で、混乱の現場に居た。この場合、自民党は分裂して二つの政党になり、首班指名に応じるのが憲法を前提とする政党政治であると、事務総長に進言したが政党は理解しなかった。
政権交代を絶対に避けたい自民党は、社会党に2人の候補で首班指名に応じるよう裏で話をつけたようだった。11月5日の議運委員会理事会で、社会党の山口鶴男理事が「憲法に禁止規定がないのでそれでやりましょう」と発言した。現場にいた私は日本の議会民主主義による政党政治は崩壊したと思った。自社55年体制の究極を見た私は、この時、何としてでも、政治改革による健全な政権交代の実現を自分の使命にしたいと確信した。
11月6日、衆参両院で首班指名が行われ、衆議院の初回の投票は過半数を得た者がなく、上位ふたり、自民党の大平正芳氏と福田赳夫氏による決選投票が行われた。大平氏138票、福田氏121票、白票251票で大平氏が首班に指名された。参議院でも初回の投票で決まらず、上位2人の大平氏と社会党の飛鳥田一雄氏について決選投票が行われ、大平氏97票、飛鳥田氏52票、白票87票で大平氏が指名された。この時、衆議院で議事を主宰した灘尾弘吉議長は、友人の前尾繁三郎元議長に「政党政治の地獄を見た」と語っている。
ところで、大平首相に総選挙で「消費税の導入」を公約するよう進言した前尾元衆議院議長は、自己の公約として京都2区の選挙戦で主張した。その結果174票の僅差で落選した。前尾さんはその責任を感じ、政界からの引退を決意するが、この決意を翻意させた人物がいた。重要なことなので紹介しておく。
それは昭和天皇であった。10月7日の総選挙が終わり、自民党内の抗争が激化した14日、突然、前尾元衆議院議長は高松宮殿下の訪問を受けた。その用向きは「今日は非公式に陛下のお気持ちを伝えに来ました。陛下はこう申されています。『前尾が総選挙で落選したのは誠に残念だ。国のためにどうしても大事な人物なのだから、ぜひ再起して政治を続けて欲しい』と」。
昭和51年、第77回国会のロッキード事件で紛糾したとき、昭和天皇は唯一の被爆国でありながら6年間放置している「核防条約」の承認をすべきというお気持ちを前尾議長に伝え、前尾さんの尽力で承認に至ったことがあった。いずれも、日本の国政が不正常になることをご心配されてのことだと思う。
(「財政再建に関する国会決議」による消費税導入の断念)
11月8日、衆議院議運理事会で野党各党は「一般消費税導入反対する関する国会決議」を行うよう自民党に要求した。与野党間の協議が続けられ、第91回通常国会が召集されて、「財政政権に関する決議案」を全会一致で行うことになる。その要旨は、「財政再建は緊急の課題である。政府がこれまで検討してきた、一般消費税は、その仕組み、構造について十分国民の理解を得られなかった。従って財政再建は、一般消費税によらず、行政改革による経費の節減、歳出の節減、税負担公平の確保などによって、財源の充実を図るべきである」というものであった。かくして、自民党大平内閣は一般消費税の導入を断念せざるを得なくなった。
(続く)