日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観
〇 東京オリンピックについて
2020年に、東京でオリンピック・パラリンピックが開かれることが決まった。招致活動の最終段階で、世界のメディアから福島原発事故の汚染水問題について、日本への批判が吹き出した。日本の関係者は気を揉んだようだが、東京招致が成功した。
しかし、「よかった、よかった」とお祭り騒ぎで喜ぶ事態ではない。21世紀の人類がいかに生きるか、資本主義の崩壊的変質にどう対応すべきかなど、複雑な国際情勢のなかで、オリンピックが単なる「スポーツの祭典」で済むことではない。
2020年の東京オリンピックが、日本の姿や日本人の生き方に大きな影響を与えることになる。その意味で、東京オリンピックのあり方について、準備の段階から留意しておかなければならない。1936年(昭和11年)のベルリンオリンピックは戦争に利用された。1964年(昭和39年)の東京オリンピックは、第2次世界大戦の敗戦国が復興して、豊かな国づくりの姿を世界に見せる機会であった。20202年の東京オリンピックのモチーフを、国民的に共有することが大事だ。
(昭和39年の東京オリンピックの思い出)
50年前の東京オリンピックには思い出が多い。個人的なことだが衆議院事務局に勤務してまもなく、昭和37年に東京オリンピック準備特別委員会が設置され、同39年まで担当者をやっていた。東京都から選出の島村一郎衆議院議員が、全期間特別委員長を勤めた。
島村特別委員長は、敗戦直後、昭和21年の帝国議会最後の総選挙以降12回連続した自民党の政治家で、東京オリンピックに政治生命を賭けていた。「大臣になるために政治家になったのではない。国民の声を国会に生かすためだ」を信条としていた。
私は島村特別委員長の鞄持ちで、東京都やオリンピック準備委員会、スポーツ団体などと会合する席に顔を出した。政治的にも社会的にも、さらに財源問題など数々の難問があり、調整することが山積していた。島村特別委員長のような人格者がいたので、昭和39年東京オリンピックは成功したと思う。
もうひとつの思い出を語ることを許してもらいたい。親不孝な私がたった一度だけ親孝行したのが、オリンピックに両親を案内したことである。明治生まれの両親が「彼の世の土産にオリンピックを観たい」ということで有給休暇をとり、故郷土佐の足摺岬に帰り、両親と高野山にお参りし、赤松院で一泊、翌日伊勢神宮を参拝し、できたばかりの新幹線で上京、次の日、国立競技場で陸上競技を観た。東京オリンピックのおかげで親孝行ができた。
(東京オリンピックが成功する鍵)
1)福島原発の放射能問題の解決
安倍首相は9月8日、IOC総会で次のように世界に約束した。(招致演説と質問に対して)「状況はコントロールされている。まったく問題ない。汚染水は、原発の港湾内の0・3平方キロ範囲内で完全にブロックされている。近海も問題ない。食品・水・健康も現在、将来とも問題ない。私が責任を持つ」(要点)。
これが本当で、発言通りに実行されれば問題はなかろう。「状況はコントロールされている」など問題発言があるが、専門外の私が論評するつもりはない。ひとつだけ私が関係していることについて意見を述べておきたい。
安倍首相の論旨の根拠は、「放射能を封じ込め、高濃度として総量を少なくして、自然に半減させるため長期間保存しておく」という原子力村の専門家の理論である。この考えは「放射性物質は人為的に低減・消滅できない」という物理学の定理をもとにしている。
今はこの理論にもとづいて、放射性物質の除去・封じ込め作業が行われている。巨額な経費と何十年という時間と新しい環境問題などで、根本的解決にならず、被災地や被災者から強い不満が出されている。特に福島第一原発の汚染水問題は、場当たりの対策に国際的批判が高まり、その具体例がIOC総会直前の世界中のメディアの追求であった。
ところで最近、放射性物質が先端技術であるナノテクノロジーを活用することで、低減・低弱し半減期を著しく短縮する実証実験に成功している。「メルマガ・日本一新」でも何度か紹介したが『ナノ純銀等による放射性物質の低減技術』だ。発見したのは阿部宣男理学博士(板橋区ホタル生態館長)で、岩崎信工学博士(元東北大学大学院教授)の指導で実証・検証実験を行っている。このチームは、両博士の友人知人で構成されたボランティア活動で、私も参加している。
この「ナノ純銀活用の放射性物質低減化技術」は、一時期、公的研究機関も興味を示したが、ある事情で拒否した経過がある。また、岩崎工学博士は本年2月には、KEK研究会(放射線検出器とその応用)で、この技術による実証実験の成果を発表し専門家の注目を集めた。3月には参議院本会議で、「生活の党」の森ゆうこ議員が、下村文科大臣にこの技術の活用について質問を行い話題となった。しかし、政府として本格的に採り上げることはなかった。5月に入り、汚染水問題が話題になった時、専門家の中には、この技術に「トリチウムの低減化」を期待する意見も出るようになった。
ナノ純銀活用の放射能低減技術は、物理学の定理を修正する可能性があること。さらにメカニズムを理論化する作業も必要となる。これからはボランティア活動では限界がある。この際、安倍首相が世界に約束した放射能対策を実現するためにも、政府の責任でこの技術を検証し、活用できると確信できれば、日本人のみならず人類のために役立てるべきだ。
岩崎・阿部チームは、これまでの実証実験や検証実験を参考にして、国家が責任を持ってこの技術の研究と活用を行うよう運動を展開していく。
2)アベノミクスはオリンピック精神に反する!
1964年(昭和39年)の東京オリンピックといえば、池田勇人首相がオリンピック終了直後に病気のため辞意を表明し、11月九日に佐藤栄作氏が首班指名された。池田内閣の所得倍増政策が成功し、企業は高度経済成長を、サラリーマンは豊かな生活を実感し始めた時期であった。焼け野が原の東京が、オリンピックが開催できるまでに復興し、世界の中心都市として躍進しようというタイミングであった。
新幹線や高速道路など、わが国の首都圏を中心とするインフラは、この時期に構想ができ建設したものである。国会のオリンピック準備特別委員会は、首都圏のインフラ整備や財源づくりの調査や立法が主な仕事だった。この時代は経済成長による生活の向上が、ほとんどの国民の要望であり、イデオロギーが対立する政治問題は減少していた。オリンピックが終わった後、不況期を経て、昭和40年代初期には公害環境問題、後期には石油ショックによる資源問題が、日本資本主義を襲うことになる。
昭和39年の東京オリンピックで本格化したわが国の高度経済成長政策は、昭和50年代後半―1980年代から、グローバル化、高度情報化などによって大きく変化する。そして実体経済に代わってマネーゲームによる金融資本が世界経済のイニシアチブを握ることになる。先進国の実体経済が高度成長できなくなり、低成長・成熟社会の政治や経済に向けての改革が必要となる。
その改革が放置されるどころかバブル化し、平成に入るやバブルの崩壊により「失われた時代」となる。これは失われたというより「改革できなかった時代」というのが真実だ。かくして小泉新自由主義からリーマン・ショック、そして東日本大震災・福島原発事故と「人禍と天変地異」が続き、アベノミクスが出現する。
アベノミクスを呷るエコノミストたちは、オリンピックの精神が平和とフェア(公正)にあることを知らないようだ。2020年の東京オリンピックに高度経済成長を夢見て、「覇権国家」をつくろうとしている。まず、東日本大震災の復興、そして人間にやさしい国づくりだ。
前回のオリンピックでは、国民生活を向上させるための経済成長を必要とした。51年を経た現在の日本はフェ
アプレーの精神を放棄したアベノミクスマンたちが、格差社会を増大させようとしている。今回のオリンピックは実体経済を活性化させ、その成果を民衆の福寿に還元させるという「共生」のモチーフを世界に発信すべきである。
(了)