日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

「メルマガ・日本一新」は、気づかないうちに200号を迎えていた。これは偏に会員皆さんのご協力の賜物であり感謝している。2月22日には、国会開設運動発祥の地、高知市自由民権記念館で「議会政治再生のための国民運動」と銘打って、『違憲国会の葬式』と「再生のために何をなすべきか」ついて討議を行う。小沢さんも参加する予定である。日本一新の会の多数の会員が駆け付けてくれる。


そこで南国土佐が、何故に国会開設・自由民権運動の発祥地となったのか、この機会に歴史の深層部分を紹介しておきたい。(土佐の原点―スンダランド黒潮文化) 土佐は不思議な場所である。東の室戸岬から西の足摺岬周辺、さらに背後の山々には、縄文時代に構築された「巨石遺跡」がいたるところにある。また、土佐は黒潮の流軸が直接にぶつかる日本列島では唯一の場所である。この黒潮の流れは、約6万年前から「スンダランド大陸」の東側の太平洋で始まったものだ。あまり聞かれない大陸名なので少し説明しておこう。

今から約7万年前から1万2千年前には、インドネシア周辺の海洋は海が退潮し、フィリピン・タイ・インドネシア・台湾などの諸島が、ユーラシア大陸と連なり大きな亜大陸となっていた。これが「スンダランド大陸」と呼ばれるものだ。この地で人類が創った精神文化は「自然信仰」、「精霊信仰」、「祖先信仰」であった。

土佐は、日本でのスンダランド文化の玄関口のひとつである。最近土佐の竜串海岸の海底から古代の神殿と思われる石柱などが発見された。インドネシア諸島のポナペ島付近の古代遺跡と類似していると、私たちの研究グループは主張しているが主流学者は決して認めない。「ナノ銀」の核変換と似ている。

申し遅れたが、私は黒潮と縄文巨石文明の研究グループ「唐人駄馬探索協会」の会長であった。(空海の密教文化) 四国は空海密教文化の国である。空海が室戸岬の洞窟「御蔵洞(みくらどう)」で修行し、明星が口の中に入った体験で悟りを開いた話はよく知られている。四国88ヶ所という霊場を設け、多くの人びとから遍路信仰として親しまれている。

高知には第24番札所の室戸山最御崎寺(ほつみさきじ)から始まり、第39番札所赤亀山円光寺まで16ヶ所ある。有名なのは弘化14年(823年)に、嵯峨天皇の勅命で国家護持の勅願所として、空海が建立した「金剛福寺」である。足摺岬の先端で黒潮の飛沫のなかに建立されている。

空海を単に真言宗の開祖とだけ解釈したくない。その密教はスンダランド精神の「自然・精霊・祖先信仰」を、仏教的に統合したものだ。土佐で生まれ育った人間は、空海の密教御詠歌が子守歌である。(遠流と落人文化の国) 土佐は古くから遠流と落人の国として知られている。「遠流(おんる)」とは奈良時代に定められた「流配遠近」のことで、犯罪者を俗にいう島流しにする掟である。近流・中流・遠流とあり、土佐は佐渡・隠岐などとともに遠流の地と定められた。

代表的な例は、池田親王・弓削浄人(奈良時代)、菅原�視・安倍泰親・法然上人・上御門上皇・尊良親王(平安時代)、伊達宗勝(江戸時代)等々、数千人に及ぶといわれている。多くは政治犯やその連座で直接罪人でない学者や文化人も多くいた。これらの人たちは僻地の土佐で反骨精神を養いながら、博学を土地の人に講じたり、流人を中心とした独特の文化をつくった。「落人文化」も忘れてはいけない。「落人」とは、権力との戦に破れたという運命を持つ人たちのことだ。平家敗北から南北朝抗争、応仁の乱から戦国時代、さらに関ヶ原の戦に至るまで、おびただしい武将や家臣が土佐の山間・海辺に落ち延び土着した。坂本龍馬の先祖は明智光秀の家臣であるといわれている。さらに土佐には、特種な都の文化移動がある。代表的な例は応仁の乱を避けて、四万十川域に小京都をつくった時の関白太政大臣・一条教房がいる。

ここで歴史は生きていることを証明しておきたい。平成5年に細川連立政権が成立した。歴史的なことで政権運営にはずいぶんと苦労した。この時、細川首相に最も厳しく苦言したのが、平家と一条家臣のDNAが入っている可能性のある私であった。ある日の政府与党党首脳会議で、細川首相が小沢さんにこぼした話がおもしろい。「平野さんは、どうして私に厳しいのか、理由を知りませんか?」「平野さんの先祖は、細川家が応仁の乱で京都から追い出した血筋のようだ。先祖の因縁が原因ではないか!」「いやそれは誤解だ・その時の細川家は私の先祖ではない。よく説明しておいて下さい」 こんな話を小沢さんから聞いたことがある。これ以来、私は細川首相の裏仕事が多くなり、佐川問題をはじめ、首相退陣の時、議員も辞めるというのを止めたり、引退後にファンケル化粧品のテレビコマーシャル出演の話も持ち込んだ。

この果てが、先般の東京都知事選挙だった。敗北したものの「脱原発」は人類文明のパラダイム・シフトであり、細川さんと一体となって実現させたい。これも先祖の因縁・DNAの仕業だろう。

(「土佐南学」の精神が自由民権のルーツ!)「土佐南学」という思想・学問は、通説は戦国時代の16世紀に、土佐を訪れた周防の国の南村梅軒が、禅儒の学を教えたことに始まるとのことだがこれは誤っている。私の論は、縄文時代からの黒潮スンダランド文化の精神「自然のなかに絶対の自由を求める」ことが基礎である。その上に空海密教文化が育ち、鎌倉時代の夢窓国師による禅学の普及、そして歴史の混迷のなかで、流人・落人文化が統合して「土佐南学」として形成されたものだ。

徳川時代になると土佐南学を育てた長宗我部氏に代わって、遠州掛川の山内一豊が藩主となる。山内藩主も藩政を成功させるために「土佐南学」を活用せざるを得なかった。特に産業振興に活用され、その要点は「知行合一」、「多目多聴」、「相互扶助」、「奉仕勤倹」である。幕末になると土佐南学は「陽明学」化していく。その中で「知行合一」と「多目多聴」が明治維新の原動力になっていく。

土佐の歴史の特殊事情は、幕藩時代になっても人間の差別を解消できず、掛川からの山内系と長宗我部系の対立は激化していく。その背景には流人や落人の土着した民衆の差別に対する怨念があった。幕末になって幕藩体制の弱体化と近代欧米社会との接触が増えることで、日本社会の流動化が起こる。そして明治維新へと進んでいくが、その流れに重要な役割を果たしたのが、土佐は足摺岬生まれの漂流少年・ジョン万次郎であった。

この主張は私ではない。戦後最大の文明評論家・大宅壮一氏である。『欧米文化との初接触』というテーマの論文があり、「漂流民の予想外の能力」、「捕鯨がうながした開国」、「万次郎から新知識」、「自由民権の種まく」の項目になっている。万次郎は貧しい漁民の子で、14歳の時に漂流して、米国の捕鯨船に救助された。ボストン郊外で教育を受けて、航海士として世界の海で活躍し、開国を訴えるため、10年ぶりに帰国。土佐藩や幕府などに勤め、日本の近代化に尽くした人物だ。

要約すると、海外事情の知識と見識に秀れていて、土佐では吉田東洋、後藤象二郎、坂本龍馬、岩崎弥太郎などが、大きな影響を受けた。維新の変革で土佐が少数精鋭分子で活躍できたのは、万次郎の知識に負うところが多い。「合議政体論」や、「自由民権思想」は、万次郎がもたらした草の根デモクラシーとつながっている、ということである。

しかし、万次郎だけではこの役割はできなかった。その知識や見識を図解などにして、龍馬ら若者に伝えた人物がいなければ時代は動かなかった。その人物とは画人で開明派の河田小龍であった。よく考えると、社会の底辺にいた万次郎が、漂流という運命の中で異文化に接して、民族的な素質を発揮できた理由が謎といえる。それは万次郎が幼少の頃から身についていた「土佐南学」の躾が、ボストン郊外で暮らすメインフラワー号の子孫たちと共通するものがあったからだ。真理は時と所を超越するものだ。

21世紀にこの「土佐南学」の再生を願っているのだが、肝心の土佐人が無関心であり残念である。