◎日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観
○ 集団的自衛権の憲法解釈変更問題―3
敗戦・占領下での憲法制定当初から、今日まで論議されてきた「自衛権論争」は、全て深刻な国際政治を反映したものであった。自衛隊を「蛙(軍隊)にならないお玉杓子」と、大まじめで解釈改憲した吉田茂首相は他に選択の余地のない決断であった。かの岸信介首相さえ、昭和35年2月の参議院本会議での安保改定論議で、国連憲章51条の「集団的自衛権」を日本が行使することは「憲法上出来ないことは当然だ」と断言している。

 その後さまざまな屈曲があって、自民党政権が解釈改憲の限界として示したのが、昭和56年5月の憲法9条解釈であった。内閣法制局として死守すべき「自衛権行使の限界」であった。その真意は米国からの要請に対応するもので苦しい文意に潜んでいる。かくして日本国の「一国平和主義・一国民主主義」による、日本式談合政治がクライマックスとなる。その夢を砕いたのは、平成元年12月の米ソ冷戦の終結であり、湾岸戦争であった。「自衛権」の解釈運用だけで、わが国は立ち行かなくなったのである。

1)集団的自衛権と国連集団安全保障の区別を理解しない指導者たち!
平成2~3年当時の自民党内では、小沢幹事長を中心に、ポスト冷戦の国際社会で日本が生き続けるため何を改革すべきか真剣に議論を重ねた。「国際貢献・政治改革・経済改革」が中心で、成果のひとつが自衛隊のPKOなど、国連活動への参加であった。これは小沢幹事長が提唱した「国連集団安全保障論」が原点にある。これらの、ポスト冷戦に対応する基本問題が自民党内の対立となり、小沢氏らが自民党を離党する原因となる。

平成5年8月に成立した非自民細川連立政権の外交方針は、小沢調査会の影響もあって国連中心の集団安全保障論であった。ところが、政治家も官僚も、マスコミ有識者も「集団的自衛権」と混同して国民は理解できなかった。細川政権では外務大臣が政党政治家で、事務当局の説明を不消化のまま説明するので、理解しない野党の追及も少なかった。羽田政権で外務大臣に就任した人物が官僚出身で、明確に説明するので、野党から憲法の解釈変更とか、拡大解釈だといった追求があり、しばしば紛糾した。

平成6年6月に村山自社さ連立政権が成立し、社会党は「日米安保体制の堅持と自衛隊の合憲」などを容認。これまでの社会党の基本政策を真逆に変更した。そのため「自社さ連立政権」では本格的安全保障論議はなかった。平成9年の橋本自社さ政権では、沖縄特措法問題(普天間基地)や、朝鮮半島危機があったが、梶山静六官房長官→小沢一郎新進党党首→平野貞夫小沢党首補佐役のラインで、極秘に協議し事態に対応した。

小渕政権となった平成10年には、北朝鮮がミサイル実験を行うという事態が起こった。安全保障論が盛り上がるなかで、小渕(自民)と小沢(自由)の自自連立政権となる。この政権は自自公となり、平成12年4月に、自公政権に変わっていく。この連立政権について、岩波新書の『戦後政治史』(新版)は「(自由党は)集団的自衛権を行使することを認めるという憲法上の争点をあえて自民党に突きつけることによって、政局の動乱を狙ったのである」と述べている。これはまったくの誤りで、当時議論したのは「国連集団安全保障」の採用のことである。有識者でも区別が出来ていなかった。自由党の政策担当の当事者であった私が証言しておく。

2)イラク戦争で歪曲した集団的自衛権論!
小泉政権が米国に追随するようになって、米国から集団的自衛権の解釈改憲の要請が強くなる。アーミテージ元国務副長官らが日本の安保マフィアを強要していく。9・11(平成13年)事件がきっかけで、アフガン攻撃からイラク戦争へ展開するなかで、国連で米英と独仏が対立した。国連決議がないまま日本の自衛隊の参加を要請する米国に断り切れず、憲法に違反することを放置して、後方支援として派遣する。ポスト小泉を担当した第1次安倍政権は、この課題を引き継ぐことになる。

政権を放棄した安倍首相に代わった福田康夫首相が、小沢民主党代表と合意したのは、「国連集団安全保障の理念」を原点とした、わが国の健全な安全保障体制であった。自民と民主両党による大連立構想である。小沢代表は、政権担当能力に欠ける民主党の訓練を期待したが、党内の理解を得るに至らなかった。その後、麻生自公政権が、国民が期待した民主党政権に交代するものの、その堕落は今日の政治混迷の原因をつくった。

3)背後霊に操られる安倍首相の解釈改憲論
「集団的自衛権」を解釈改憲でやろうという安倍首相が、政治理念も信条もなく、私的諮問機関にすぎない安保法制懇というカネと地位が欲しい軍事マフィアに操られていることが重大である。これがファシズム化の最大の問題だ。さらに石破幹事長や中谷元衆議院議員ら防衛官僚経験者らも、このマフィアに踊らされているのだ。

石破・中谷両氏は平成初期に、私が憲法9条について指導したが、こんな馬鹿なことは教えていない。要するに解釈改憲に踊らされている政治家たちには、憲法や民主政治を論じる能力のない人間たちなのだ。

高村自民党副総裁の発言に至っては、憲法認知症で弁護士資格を剥奪すべき問題である。さらに「限定的適用」なら了承しても良いと、内閣改造に期待する面々の私利私欲が国家の危機をつくるのだ。こんな政権を選んだのは国民有権者だが、原因をつくったのは民主党である。その反省なしに議会民主政治を続けることは不条理である。

国際社会の誰もが、東アジアの緊張を高めないでくれと願っているのが現状である。緊張を高める安倍首相の妄信が実現すれば、憲法の基本原理を変更するもので、日本は国連を無視して、海外で自衛隊が軍事活動を行う道を拓くことになりかねない。ベトナム戦争での韓国の悲劇は他人事ではない。
(この項、終わり)
○「万次郎とユニテリアン思想」(草案)
4、忘れられたユニテリアン思想
平成21年6月26日、私は銀座の「交詢社」で、万次郎について話をする機会があった。交詢社といえば、明治13年(1880年)に、福澤諭吉らを中心につくられた社交クラブである。金持ちに縁の薄い私を、誰が推薦したのかわからなかったが、与えられたテーマは『ジョン万次郎に学ぶ―日本の近代化、国際化の原点―』ということであった。

丁度良い機会だと思い、万次郎が日本で初めてのユニテリアンであったこと、福澤諭吉が交詢社を発足させたころ、ユニテリアンを支援していたことを話した。実は明治21年4月15日に、交詢社社員総会でユニテリアンの宣教師、アーサー・メイ・ナップ氏が講演したことがあり、その要旨の紹介も行った。ナップ宣教師のひと言が強烈であった。「ユニテリアンは宗派ではない。人の心の運動だ。キリスト教会全体の改革運動だ」。

私は講演の最後を、次のように締めた。「交詢社の午餐会で、ユニテリアンの話をしたのは120年ぶりです。昨年、リーマン・ショックで金融資本が崩壊し、新しい資本主義の柱・理念をどうするかということが、我々に求められています。

私はもう一度、幕末に万次郎がユニテリアンの思想を、志のある若者に教育したように、また明治の中期、福澤先生がユニテリアンに関心を持った時期に立ち返り、人間のあり方を見直すべきではないかと思います」と。

(万次郎が教えたユニテリアンの思想)
万次郎が命がけで帰国し、開国を訴えようと考えたのは、捕鯨船で難儀する船員を助けようという「人間愛」が直接の動機であった。米国が国策としてペリー艦隊をして、日本に開国を求めた時期と重なったため、万次郎のもつ米国についての情報は重要であった。万次郎は封建社会の身分制を超えて、幕政だけではなく日本社会に大きな影響を与えた。

万次郎の日本社会への影響には、3つの形に分けられる。1)幕府や諸藩の要請に応えて、日本の近代化への貢献 2)弟子は採らなかったが、志と向学心のある多数の人材に門戸を開き、熱心に教育したこと 3)社会全体へ人間平等の思想を普及したこと、である。万次郎が意識していたかどうかはわからないが、残されている逸話から、ユニテリアンとしての人柄を理解してもらいたい。
(この項、続く)

(追伸)『ともに語ろう! 日本一新』懇談会 5月11日(日)の懇談会は、東京駅近くのルノアール会議室で成功裏に開催された。司会の長谷部さんから「政治の世界の生き字引たる平野代表」と紹介されたが、真実は「政界の嫌われ者」だと挨拶して始まった。

参加者18名が、現在の世情や政治に意見を述べて懇談した。原発・消費税・生活の党のあり方・共産党と公明党は安倍自民党の味方か等々、話題は尽きなかった。総括すると「日本の民主主義再生のため、小沢さんの再登場を!」であった。
(この項、続く)

 【補足】「憲法解釈の変更」なるものによる「集団的自衛権の確保」は、「米国指令による自衛的先制攻撃への参加命令の受諾」にある。このことは、「大量破壊兵器が存在する」とのウソをついて、イラクを「自衛のために先制攻撃」したイラク戦争を見れば明らかである。なお、米国の軍産複合体は、「正義の戦争」を引き起こすため、謀略を仕掛ける。ベトナム戦争の本格化と北爆を引き起こしたトンキン湾事件はその代表例である。

トンキン湾事件とは1964年8月、北ベトナム沖のトンキン湾で北ベトナム軍の哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射したとされる事件。これをきっかけに米国は本格的にベトナム戦争に介入、北爆を開始した。米国議会は上院で88対2、下院で416対0で大統領支持を決議をした。しかし、1971年6月『ニューヨーク・タイムズ』が所謂「ペンタゴン・ペーパーズ」を入手、事件は米国が仕組んだものだったことを暴露した。

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