「日本一新運動」の原点(291)ー村山談話の歴史的意義、「国民連合政権」の原点

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

〇『検証 安倍談話―戦後七〇年村山談話の歴史的意義』出版記念会に出席して!

11月5日(木)、憲政記念館で開かれた出版記念会に小沢一郎さんの代理で出席して挨拶をしてきた。小沢さんが同日同時刻に、ベトナムとの青少年国際交流を主催していて出席できないためであった。出版記念会が始まる前に控え室で顔を合わせたのは、村山元首相・菅元首相・志位共産党委員長・吉田社民党代表・海江田元民主党代表・穀田共産党国対委員長・辻本民主党衆議院議員等の面々だった。小沢さんがいないで、私の前で昔話となる。

〇村山 細川政権をつくって自民党政権を壊した小沢さんにもう一度、自民党を倒してもらわんといかん!。このまままでは日本はダメになる。よろしく言っておいてくれ。

〇菅 小沢さんは政権を倒すことが得意だから、何とかやってくれるだろう。

志位共産党委員長は、時の人だけあって、終始ニコニコと何も言わなかった。村山元首相と小沢さんは、平成時代になっていろいろと複雑な問題があったが、現在の政治情況で小沢さんの活動に強く期待している言動であった。それに比べて菅元首相の目線は「小沢に政権を倒された」というものを感じた。反省も何もない人間性に、現在の民主党指導部の影を見る思いであった。

出版パーティーでは、菅元首相・志位共産党委員長・吉田社民党代表・亀井衆議院議員・小沢代表代理の平野・海江田元民主党代表の順で挨拶が進んだ。志位委員長が丁寧な挨拶をしたのが印象的であった。「安倍談話」の検証として「日露戦争は、植民地支配のもとにあった多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた」の部分を取り上げ、「事実と異なり、歴史を曲解させたもの」、と批判していた。

私の代理挨拶の要旨は次の通り。

「小沢さんからこの出版記念会は非常に大事な会合だから、自分が欠席する事情を説明して代わりに挨拶してくれと言われましたが、私のような格下が務める役ではないと申しましたところ、〝20年前、村山首相に一番嫌らしい質問をしていたのはあんたじゃないか。お詫びのつもりで行ってくれ〟といわれ、断れなくなり参上しました。いま丁度、この時刻、小沢さんはベトナムの青少年を大勢日本に招いて、国際交流をやっていまして、ホストとして挨拶と行事のため、この大事な出版記念会に出席できないことを申し訳ないということでした。

実は10月28日、村山談話を継承し発展させる会の藤田理事長から預かった『検証 安倍談話』について、小沢さんと1時間ほど簡易読書会をしました。その時、感想らしきことを呟いていましたので、そのポイントを紹介します。

まず『安倍談話』の検証ですが、本音を隠して言葉をいれかえてお茶を濁したものだ。村山談話の継承なんてとんでもない。それに何回も謝罪しているので、これももうする必要ないといった本音もちらつかせて」と。これ以上申し上げますと、問題になりますので・・・・・。

次に『村山談話の歴史的意義』についてですが、3点のことを言っていました。1)平成7年8月の時点で、健全な保守の考え方もいれて、多数の国民のコンセンサスとして、明治以来の日本外交を総括した歴史的意義がある。2)村山談話ではアジア諸国のみならず、世界の各国から信頼を得た意義も大きかった。3)これは現在もっとも重要な課題『野党連携』の指針にしなければならない。とのことでした。

以上が小沢さんからの挨拶です。せっかくの機会ですので最後に私からの提言を申し上げることをお許しいただきたい。「8月14日に「村山談話を継承し発展させる会」では緊急提言をしています。その最後の締め括りが〝改めて日本国憲法の平和原理に立ち返らなければならない〟というものです。私の提言は、そのために何をなすべきかについてです。新憲法が施行された、昭和22年、私は小学校6年生でしたが、この時「憲法普及会」認定の「新憲法施行記念国民歌・〝われらの日本〟」を学校で歌ったことを記憶しています。

詞を「土岐善麿」、曲は「信時潔」で〝平和のひかり 天に満ち・・・われら自由の民として〟というすばらしい歌でした。この憲法施行記念歌をほとんどの日本人が忘れている。私が代表をしている「日本一新の会」のメンバーが合唱歌にして「安保法制反対の国会前デモ」で何回かテープで流して歌いましたが、ほとんどの人が反応しませんでした。

「憲法の平和原理に立ち返る」ためには、難しい理屈よりもこのような文化遺産ともいえるものを、多くの日本人に歌ってもらうことが大事だと思います。その運動を始めるべきです。この歌をバックグラウンドミュージックとして、村山談話の継承と発展を指針とすれば「野党連携」は成功します。来年の参議院選挙で必ず勝利できると思います」。

〇故染谷正圀さんを偲ぶ会に出席して
11月2日(月)、浅草公会堂で催され百名を超える染谷さんの友人が参加して盛大な会合であった。日本一新の会を代表して挨拶させてもらった。「維持会員として支援していただくだけでなく、憲法や共産党のあり方など、いろんな問題で論じ合い勉強になった」と思い出話を語らせてもらった。共産党は、「国民連合政権」構想を発した直後で、染谷さんの悲願が実現したが辺野古の海で生命を落としたことが残念でならない。ご冥福を祈ります。

〇「安保法制廃止のため憲法を学ぼう 7
最近、大きな書店に「憲法コーナー」が設けられて、いろいろな種類の憲法の本が販売されている。大変結構なことで、ぜひ立憲政治の確立や、安保法制の廃止の世論を盛り上げることに役立って欲しい。これらの動きについて私の感想を言えば、現憲法の条文のやさしい解説であったり、憲法の技術的理論書である。それも大事なことだが、憲法の根源というか、本質、憲法存在の根本的理由をテーマにしたものが少ない。日本人の血肉化する情報が必要だ。

平成12年(2000年)に衆参両院に「憲法調査会」が設けられた。調査会の進め方について同年2月16日各党が意見を述べることになり、私は自由党を代表して次の趣旨の発言を行った。
1)米国占領軍によってつくられ、押しつけられたから改正すべきだ、との論はとらない。しかし、制定過程の調査は必要だ。

2)21世紀となり、工業文明社会から高度情報文明社会へ激変する中で、18~19世紀の近代憲法の諸原理の発展的見直しが必要だ。

3)敗戦後の日本の実態は、同一民族国家の形をとっているが、精神や思想は分裂状態であり、社会共同体としての統一性がない。21世紀にふさわしい憲法のあり方を調査し、精神的にも思想的にも新しい統一国家を創るという発想が必要だ。

4)現代は聖徳太子が活躍した時代に国際的にも国内的にも背景が酷似している。「17条憲法」の制定から「大化改新」に至る歴史に学ぶべきではないか。

この私の意見(4)に対して、朝日新聞の記事で「時代錯誤の発想だ」との批判を受けた。それに対して私は文書で編集局長宛に抗議文を出したところ「言論の弾圧だ」との反論があり、いろいろとやりとりがあった。話が収まったと思っていたところ、別の問題で朝日新聞から〝喧嘩〟を仕掛けてきた。その様子を憲法調査会会議録(3月3日)から覗いてみよう。

〇平野 非常に計画的意図があったようだ。2月19日の朝日新聞の社説で、私の発言を引っ張って「平野氏はこう述べ、まず憲法制定過程の調査を求めた」と。「米国からの、『押しつけ憲法』論を前面に出す意図が覗く」と、勝手に私の心をのぞいております。私は小学校6年生のとき「われらの日本」という新憲法施行記念国民歌を歌った世代で、今の憲法に思い出と愛着を持っている。

朝日新聞の社説は社論であり責任は重い。私の発言を国民に誤解を与えて、55年体制下の教条的護憲論のムードをつくろうというやりかたは間違っており、抗議する。ということでその後も朝日新聞とやりとりがあった。要するに、私の「17条憲法」の研究が、日本国憲法を調査の原点だという主張は理解されず、朝日新聞との論争は終わった。

さて憲法といえば、さまざまな形と内容があり定義を正確にはできない。敢えて言うなら「憲法」という名をつけなくとも「国の根源となる存立しうる絶対的特質をもつ思想」といえる。その絶対的特質を無視した場合に、国は悲劇的滅亡の危機となる。『十七条憲法』にはふたつの特質がある。まず「権力に関わる者の規範」を定めており古代的立憲主義である。次に「軍事的覇権の否定」(古代的平和主義)を理念としている。

日本の歴史で、このふたつの特質が破れたとき、我が国は滅亡の危機となっている。
(続く)

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